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2013年09月06日

【コラム】タリホー

20年前の3月、独り暮らしを始めた町田のアパートから世田谷へ引っ越しをした。
大学へ通うのがけぅこう厳しい場所で車の購入か引越の2択で引越という選択をした。
そこから2008年まで15年世田谷区砧の住民となるわけであるが。(因みに釧路市へ住民票を移したのが2008年9月でその年の市長選挙の投票権はありませんでした。)
そのお店との出会いは通常のクラフトカッターが欲しかったので模型店に行けばあることは理解していた。
(実際、町田在住中少し模型は作っていて2006年あたりに閉店したおくぬしや今は文房具のみの扱いでルミネに移転したなかじま、ドンキホーテになっている長崎屋の玩具コーナーなどで工具を多少は揃えたからだ)
カッターの必要な理由はカーペットのカットの為。
しかし、その模型店にデザインカッターはあったがクラフトカッターはなかった。最悪の出会いである。

タリホー、世田谷区砧5丁目にあった模型店です。2chによると歴史はかなり古いようです。私が行き出したのは93年から01年までで一番通っていたのは96年から00年くらいが一番通った時期です。それまでに移転等もあったようです。

久々のTV放映のガンダム最新作Vガンダムなどがあり模型は少しは作っていたが、バイトを始め新宿で仕事終わりイエローサブマリンなどを覗くようになってから再び模型熱が大きくなる。
更に95年、就職活動中に発表された究極のガンプラ、マスターグレードシリーズで完全に出戻りモデラーとなってしまった。
丁度就職難で大学を出ても就職もなく暇な時間は模型を作っていた。
そのあたりから入り浸るようになったお店がタリホーである。
常連さんなんかも多く模型談義もけっこうしていたお店でした。また、レアものもけっこうあったお店です。
就職してからもけっこう通ってました。予約もしてましたし。
円谷プロが近所にあったこともありプロの造形に関わる方もたまに来店されてました。

最後にいったのは2001年9月くらい予約してたものを受け取りに行った時でした。
このあたりだと2000年10月以降、恵比寿の会社勤務だったのでキット購入はミスタークラフト(こちらは2008年8月倒産)で買うようになって足は遠のいてました。この年の10月、しばらく休業しますという張り紙を最後にお店に電気がつくことはなく扉も閉じたままです。店主のおかあさんに何かあったのだと思いますが知るよしもありません。
2010年2月、2008年10月に家庭の事情で砧を去って以来1年少しぶりに砧の街を歩きました。でもタリホーは時が止まったままでした。(因みに小田急沿線界隈では成城学園の永谷園という花と文房具を扱うお店も模型の扱いを02年に辞めているため下北沢のサニーくらいしか模型店は残ってないかと思います。)
このお店で97年くらいに購入したダグラムカラー。おあかさんがもうダメみたいなものだからとまけて販売してくれたもの、今は新しいマテリアルで蘇らすことができ、見事復活してます。

事あるごとに街の模型店が閉店や大手販売店で模型コーナー撤退といった話を聞きます。とても悲しい話ではあります。タリホーというお店は私をもう一度模型というものに振り向かせてくれた重要な場所であり存在だったように思います。

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2013年06月12日

野村トーイ

ウィキペディアだとハズブロに転送されるが。。。

そもそも日本に野村トーイという玩具メーカーが存在していた。
アラフォー以上の世代だとロンパールームのおもちゃなどの印象を持っている人も多いと思う。
ゲームだと1984年に発売されたチクタクバンバン、パズル上のレールを動かしながら動く時計を脱線させないゲームが近年だと印象深いかもしれない(このゲーム自体はドラえもんバージョンがツクダオリジナルの流れを組むバンダイグループのメガハウスからミッキーマウスバージョンが株式会社ハナヤマから発売されていた。)
昨日、ダブルアール メカニクスの記事において、「キャラクターとキット化メーカーの記事など考証不足で明らかに違ってる部分や追い切れてない部分は相当見受けられたが」と書いたひとつはこの点である。
『宇宙戦艦ヤマト2』『宇宙空母ブルーノア』『宇宙戦士バルディオス』を野村トーイの宇宙ロマンシリーズとしてスポンサードし玩具やプラモデルを販売していた。
宇宙戦艦ヤマト2
1/1300ダイキャスト宇宙戦艦ヤマト(*1)
ダイキャストアンドロメダ
ダイキャストアナライザー 
ダイキャストコスモタイガー 
1/1000アンドロメダ(当時1000円)
1/1000ナスカ(当時1000円)
1/1200アンドロメダ(当時500円)
1/1200宇宙戦艦ヤマト(当時500円)
宇宙空母ブルーノア
宇宙空母ブルーノアDX合体セット
宇宙空母ブルーノア スタンダードセット
ダイキャスト戦闘ヘリ バイソン
1/1300 ブルーノア
宇宙戦士バルディオス
宇宙戦士バルディオス・戦闘合体トリプルクロス(合金BOX)(当時6500円)
ST宇宙戦士バルディオス
プラモデル宇宙戦士バルディオス
個人的にはプラモデルだとバルディオスとナスカ級。合金トイだとヤマトとブルーノアは友達所有のものをいじらせてもらったことがある。
プラモデル宇宙戦士バルディオス
パルサバーンからロボット上半身に変形できるが、足は可動のないただの棒状態で、変形ギミックはない。バルディプライズ・キャタレンジャーはミニモデルが付属していた。
頭部を胴体に収納するギミックは一品ではあるがヒンジ系パーツなどの強度は高くなく小学校3年生当時の私も例にもれず折ってしまいジャンク行き。。。ただ、現在ブログなどを検索すると野村トーイ版の完成品画像もアップされており非変形のバンダイ版より特徴をよく捉えてると個人的には思う。
ナスカ級
透明パーツ使用など意欲的であるしバンダイ製で大きいサイズのものはキット化されてない。
ブログなどで完成品を見ると、このキットや同社のアンドロメダはバンダイ製に比べてプロポーションは良いように思われる。ただ、ナスカ級は小学校2年生の私にはハードルが高すぎてジャンクになりました。
入手できるなら再チャレンジしたいキットです。
ブルーノア
とあるブログにて野村トーイ製キットの詳細が組みたて図など含めて出てたので確認しました。
因みに私は当時バンダイ製のものは組みました。バンダイ製に関しては戦闘ヘリバイソンの搭載ギミックがありますが野村トーイ製はこの部分が省略されてます。(シーランスのギミックはどちらもあります。)
ただ、パーツ分割や組みたてに関しては差はあまりない印象でした。

野村トーイに関しては1992年アメリカのハズブローに買収され傘下に入りハズブロージャパンとなったが、経営不振により1998年解散、ハズブロー自体はタカラ(現タカラトミー)と業務提携している。
なお、ハズブロージャパン(旧・野村トーイ)時代の商品企画販売の子会社ミムコが旧・野村トーイ時代の宇宙戦艦ヤマトの製品の再発売や、新規に宇宙戦艦ヤマト関連のフィギュアなどを発売、単独企業として存続している模様。

*1:1998年にバンダイから復刻限定品として発売
posted by ちぇりー at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月25日

ガンダムAGEの商品展開に思う。

cherrryta946 / ちぇりた946
【機動戦士ガンダムAGE】ガンプラ『HG ジェノアス』を50円で売る店現る!!ジェノアス小隊、いや大隊を組むチャンス到来!! http://t.co/JO9Us4KN @sokudokuexさんから 問屋に返品できなきゃこうするほかないもな at 01/25 17:38


ついにHGのキットを50円で売る店も現れました。

正直をいうとコーナーオープンなどでHGクラスが250円で販売されたものを見たことはありましたが。。。

個人的にいうと最速販売の商品がHGのプラモデルだったということはマイナスだったと思う。
商品自体は確かに最近のガンプラスタンダードではあるが、AGのキットシリーズを9月15日くらいに発売して展開媒体であるコロコロコミックと連動させる展開を行うべきだったのかなと。
グレートメカニクスで販売の爆発力がないという話がメーカー側からされていたわけであるが、
21世紀でもっとも成功した新作ガンダムといえるガンダムSEEDは簡単に組める300円キットの導入が成功しHGなど他のラインにも好影響を与えたといえる(もちろん映像作品の売上などもよかったし視聴率もよかったわけではあるが)
このあたりはガンダム00セカンドシーズンでの00ガンダムの時のイメージでメーカー側が勘違いしてしまった感じもうける。(結果的に00という作品は低年齢の新規層の獲得は成功していない)
コロコロコミックのアンケートを見てもほしいものとしてのガンプラはダンボール戦機のプラモデルには及んでいない。

また、視聴率を含めた作品自体の低迷も原因としてあっただろう。量産機の描かれ方はきちんと描かれていないわけで思い入れなんかできるはずもなく商品を買おうとは思わないわけである。
ガンダムという作品にRPGゲームの展開的ストーリー展開を行ったわけだが結果として視聴者からの支持が得られたかというと得られなかったわけである。

結果一番の販売チャネルである家電量販店で大量の在庫をかかえ、年末には処分品として投げ売りされていた。

冒頭のTwitter、小売店はまた状況が異なるわけでとにかく赤字でもさばかないといけないという状況である。すくなくても第2期である程度結果がでなければX以来のということになるかもしれないと感じる今日この頃です。
posted by ちぇりー at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月13日

【コラム】さくらや

昨日、さくらや全店2/28閉店のニュースが駆け巡りました。
1990年から18年間東京で生活し昨年の8月に東京へ出かけた際も買い物をしました。また協力員(いわゆる派遣)で約2年間5店舗で仕事をさせていただいたこともあり昨日のニュースは複雑な心境ではあります。
ちょっとだけ自分史ですが書きたいと思います。

1.ホビー館は昔ゲームセンターだった
カメラ量販店でプラモデルやトイ関連を扱い始めたのはさくらやが一番最初でした。1990年には旧新宿店(当初新宿店で後家電館その後新宿店になり2007年2月に閉店後立て替えられている)ですでにホビー館の原型が出来上がっていました。その後旧渋谷店(マクドナルドの向い現在ABCマートがある場所)などでも扱いを始めました。
現在のホビー館のある場所はかってSEGA直営のゲームセンターでしたが後ホビー館になってます90年代半ばくらいですね。

2.3カメの時代
新宿では対ヨドバシ、池袋では対ビックカメラと戦っていたのがさくらや池袋店は現在の場所に移る前サンシャイン通りに店舗がありました。
今でこそビックが新宿に出店してますがヨドバシが未だ池袋に出店している形跡がないことを考えるとどっちつかずの展開だったかもしれません。(退職者は3カメだからというプライドを持っている方が未だ多い)

3.大店法の規制の影響
2000年を境に大店法の規制を背景にその時期の新店出店がどの法人も加速していたさくらやも現在の新宿西口のサイゼリア隣から駅前へ店舗を移す。(2008年?に閉店した新宿西口駅前店)

4.フェニックスの時代
2000年代経営危機となりファンドのフェニックスが再建に乗り出す。
私がお店を手伝っていたのはその頃この会社の指導で変な接客(当時ホテルの接客といっていたが)を指導されたことは現場が混乱し売上を落とす要因にもなった。また、売価が競合他社に勝てる状況ではなく苦戦であった。
この時期、若い人たちが店舗の責任者となった店は逆に働き安い環境であったり風通しの良いこともあり良かったです。けっこう朝まで飲みに行きましたし。

5.ベスト電器傘下へ
ちょうど私がお店から自分の会社の都合で出るときベスト電器へのシステム移行をおこなっていました。(当初一部株を取得でした)
フェニックスがもくろみ通り買い手を探していたのです。その時期にはヨドバシの川崎、アキバ、横浜の出店、ヤマダの池袋出店(現在のLaviで日本総本店ではない)といった外的脅威もあったと思います。
2008年に完全子会社となりました。

6.こうなってしまったのは
立地場所はどちらかと言うと恵まれてました。(新宿東口駅前は確か自社資産だったと思います。)ひとつは専門店化か大型量販店かという選択にどっちつかずになってしまったと思います。立地場所は良いのですが店舗規模がどの店舗も小さく最近のニーズで大型量販で買い物を一か所でまとめてしたいというには不便でした。逆に同じものばかり置いている店舗が多く魅力がなかったのかもしれません。家電館、パソコン館(2店舗とも今は存在しない)ホビー館というように細分化しかつ店舗をあまり増やさない方が生き残り再建はできたのではないでしょうか。
逆に屋号にこだわりすぎたのかもしれない点もあります。家電業界のグループ化が90年代後半ヤマダに対抗するために加速しました。この点に乗り遅れたのも痛いですね。

7.気がかりなこと
店長、フロア長、社員の方とお世話になり楽しく仕事させていただきましたし買い物もよくしていました。閉店後解雇という報道が出ています。さくらや社員の方の一部はすでにベスト電器に出向されている方もいらっしゃるのですが今後が気がかりです。
posted by ちぇりー at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

ガンプラが模型文化を衰退させる

新春初の記事はコラムから

昨年末以来、私の行く模型店での常連の間での会話。
「ガンプラは組み立ておもちゃだよね」
アラフォー世代である我々はさまざまな模型を経験している。
合体遊びが楽しめ、バンダイより遥か前にスナップフィットキットを実現していたアオシマのプラモデルやスーパーカーブームで田宮などのスケールモデルを体感しガンプラブームを体験している。
「ガンプラは組み立ておもちゃ」という命題を意識し始めたのは昨年MG VガンダムVer.kaが発売され、キットを制作したときに感じたのである。これは模型なのか組立おもちゃなのかという点である。
amazon.co.jpのレビューは正直を言うと(私も書いたが)3つに分かれる。
ひとつはヒンジが折れやすく関節も外れやすいので最悪という意見。
もうひとつはプラモデルだから当然だろうという意見。
三つ目はただ単に出てうれしいあれもこれも出してくれという意見に分かれる。
バンダイホビー事業部の歴史はさまざまな点で語られているのでここでは割愛する。ただし、ガンプラ30周年記念サイトにて冨野監督が語っていたように玩具メーカーがプラモデルを。。。。。という言葉は今考えると妙に納得できたりする。
そもそも、ガンプラ発売前後あたりのバンダイのキャラクターものプラモデルはまさに組み立ておもちゃであったといえるだろう。
アオシマの合体遊びは合体は楽しめるもののアニメ通りの合体シーケンスが楽しめるわけではなくある種異様な合体だったわけでバンダイのものは超合金のダウンサイジング的もので合体シーケンスが楽しめ超合金を卒業した小学生にとってはうってつけの商材であった。その中ににガンダムが登場し今に至るわけで、逆にリアルというものの追及と玩具メーカー的配慮が今の状況に至るといえるだろう。
90年代後半、大型量販店がこぞってガンプラを中心としたキャラクターモデルをフロアのひとつとして常設した。
ガンプラの利点は価格が安く、組みやすく、遊べるという点があげられるかと思う。
話をVガンダムに戻そう。
3つの意見を言いかえればプラモデルだからという方はガンプラをプラモデルというふうに感じている方であり頂けないという方はガンプラを組立おもちゃと考えている方、これも出せという方はガンプラとしてしか考えてなく出ればよいと考えている方だろう。
正直を言うと現在のガンプラは塗装すらままならないキットもあり(ABS樹脂使用により塗装を推奨していないものもある)関節構造で外装をいじることが不可能(自作しかない)ものが多いのが事実である。
設定通りに変えたい場合はスクラッチするしかなく設定と違っていてもバンダイ解釈のその商品を満足してしまう傾向にあると思う。
昨今の社会情勢も起因している部分はあるが「無いものは作る」という点はここ最近の情勢を考えるとどんどんなくなっているだろう。
ここ最近、痛車や痛飛行機がブームであるがデカールを貼れない方やそもそもパーツの合いが良くない点を分からずに不良品だと言い張る人間がいるということも耳にする。
商売である以上は売上を考えて作りやすくし売上を伸ばすという点で商品を作るということは企業として納得はできる。しかし、そのことで市場を縮小させていることはないだろうか。
最近のガンプラを見ているとユーザーを退化させていくような商材が多いと思う。
MG Vガンダムはどの点からも中途半端で逆にこの点を改めて考えさせる良い機会になったと感じている。
個人的にはガンプラは基本組立おもちゃと私は思っている。
ただ、方向性をきちんと持って貰わないと模型文化自体が衰退するだろう。ガンプラ自体今の状況を突き詰めてくならけっこうではあると思う。しかし、プラモデルという点であればユーザーが手を入れる余地を残さなければガンプラ自体もこの先生き残れないのではないだろうか。
posted by ちぇりー at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

ガンプラ30周年に向けて

2009年年の瀬ですが。。。。
来年はいよいよガンプラ生誕30周年です。
さて、12月頭よりガンプラ30周年記念サイトもオープンしています。
現状は3月までの新製品の発売ラインおよび7月発売のRX−78−2ガンダムが発表となった。
この背景には広告や印刷物関連は中国などで行っていて情報が洩れるケースが多々あり、その改善の苦肉の策とも言われている。(中国、韓国はまだまだコンプライアンスには疎い)
ユニコーン関連商品は発売が前倒しになっている。
理由は映像に登場する機体を事前に発売したいという思惑もある。
HGUCシリーズの基本展開で年末までの5アイテムはそれなりに納得できるできであるが年明け以降でみるとリゼル、ロトなど期待できるアイテムがある一方でスタークジェガンのように安易な流用で設定と差異がでかい頂けないアイテムもある。
個人的には絶対うるさ方から文句がでるのだからもう少し煮詰めてほしいと思うのだ。
過去の技術、ランナーロックを使った1/48ガンダムは大変興味深い。
内部機構を廃したことで価格もPG以下で抑えられている。
2月発売のカトキ版ザクともいえるHGUCザクF2も期待のアイテムだろう1stシリーズがゾックを持ってコンプリートしただけに王道でかつ良いアイテムを選択したと思う。もし企業体力があるのならマイナーアイテムも少し意識はしてほしいが。
ガンダムに関しては宇宙世紀、CE、00の3ラインが現状主力になっている。宇宙世紀以外のアイテムが迷走ぎみなのは少し残念なところである。

関連商品
MG ジンクス ~ガンダム00(ダブルオー)シリーズ~
ガンダムアストレイ ミラージュフレーム セカンドイシュー
HG スサノオ(トランザムモード)グロスインジェクションバージョン ~ガンダム00(ダブルオー)シリーズ~
HG リボーンズガンダム(トランザムモード)グロスインジェクションバージョン ~ガンダム00(ダブルオー)シリーズ~
HGUC リゼル
HGUC スタークジェガン
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2009年05月20日

ユーザーからみたガンプラ真話 How to Build GUNDAM編

ひさびさの連載コラム(1年ぶりかな)
伝説の名著 How to Build GUNDAMが今年8月に復刻される。
なぜ、このタイミングで復刻かということがある。
How Toという言葉はこの書籍とHow To Build DIORAMAの
計3冊に使われていた。
How To Build DIORAMAは当時のディオラマ(ダイオラマ)作成
の名著の日本語訳の書籍である。
ガンプラのブームがそのタイミングであり、別冊を作るにあたり
タイトルに苦慮しこのHow To Build DIORAMAのHow To Buildを
タイトルに使ったらしい。
また当時第3弾も企画されていたが編集者がアニメ企画の会社
立ち上げで退社したことにより消えた(そのアニメがモスピーダということは
有名)
さて、近年How To Build という言葉が使われ始めたのは1993年、
機動戦士Vガンダム放映時のホビージャパン誌にさかのぼる。
機動戦士ガンダムZZ以来のTVシリーズでこのシリーズの別冊は
NEO How to Build GUNDAMと名撃たれた。また、それと並行して
旧キットを当時のボールジョイント等のマテリアルで蘇らせる企画
もあり2回のコンペが雑誌上で展開されている。
(このコンペ作品群は GUNDAM WEAPON4に収録されている。)
この流れは1998年に創刊された電撃ホビーマガジンがHow Toという言葉を頻繁に
使うなど形骸化していった。

そもそもHow To って何か。
さまざまな技法を紹介するということであったかと記憶している。

ただ、最近の雑誌のHow To はどこかプラモデルの組み立て方に終始している。
その背景には完成品という存在がある。
また、プラモデル自体が高価な商品になったことも起因しているだろう。
バンダイのキットばかり組んでいる方は感じないかもしれないが
他社製キットは15年前と比べても2倍以上の値段がするものもある。

この書籍の復刻に際して思うのは当時を熱狂した私と同年代から上の人たち
は当時を懐かしむのがひとつ。
若い世代はその技術の習得を行うと良い。
ドライブラシなどは今でも十分通用する技術です。
(今回のマイスターコンペの最優秀作品のひとつは、ドライブラシを巧く使った表現での作品である。
それだけではないが。。。。)
簡単フィニッシュもひとつの手法ではあるが、そういった塗装技術はプラモデルの完成度を高めるだけでなく
作品の価値を上げる作業といえる。

若い人に手に取ってもらいたい書籍である。

さて今月の電撃はこの本へのオマージュ作品もあるとのこと
30周年関連商品と合わせて紹介
電撃 HOBBY MAGAZINE (ホビーマガジン) 2009年 07月号 [雑誌]
ガンダム OP/ED COLLECTION Volume 1 -20th Century- 【2010年3月31日までの期間限定生産】 [DVD]
ガンダム OP/ED COLLECTION Volume 2<最終巻> -21st Century- 【2010年3月31日までの期間限定生産】 [DVD]




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2009年05月08日

著作権

ひさびさにコラムです。

模型店のサイトで完成品のガンプラの商品写真が掲載されていました。
違法でしょうか?

答えは○とも×ともいえます。
厳密に言うとバンダイから許可を取っている場合は掲載可で取っていない場合は×だそうです。

つまり模型店でも安易に画像UPはできないのが実情です。

あるサイトに文章がPDFで掲載されていました。
ある会社のサイトのプレスリリースをわかりやすくアンダーラインを引いて画像化したものを個人サイトに掲載してます。
違法でしょうか?

違法です。
PDFは改編されないためのファイル保存形式です(改編はできてしまいますが)。
さて問題点はなんでしょうか?
ひとつは著作権を持つ側に許可を取ること。
二つ目は引用元を明確にすること
最後に改変しないことが条件になります。
上記はあるサイトで行われていたことです。
許可を取ったかどうかわかりません。
引用元は一応かかれてます。
許可をとっているのであればここまでは問題ありません。
しかし、アンダーラインを引いて画像として掲載した
これは著作権保護に抵触します。
つまり違法です。
実際、これだけ一億総コメンテータが氾濫しているのでメーカー側も目をつぶっているかと思いますが。。。。。

しかし、私はかって、違うポータルサイトでカタログ画像をアップしたところメーカー側からクレームを頂きました。
最初のちぇりーぶろぐのころです。

最近ディズニーランドのいい話が著作権の問題で物議をかましています。
アマゾンの商品画像を利用するのはその点の回避という意味も多少あります。(雑誌の表紙の画像をそのまま載せることも訴えられたら一発で負けますから)

自分で作ったプラモデルの画像も実は微妙なんですが。。。。

アフリエイトも大変です。楽天の場合ロゴの改変が禁止されています。
画像の自動調整で変更されたものもNGだそうです。

野放しにされていたものに少しづつではありますが規制はかかっています。

さて、もしこれから、こういったブログをやろうと考えてる方、やると間違えなく問題になるということを挙げてみましたので参考にしてください。

1.雑誌、カタログなどの表紙、記事を無断で画像として掲載すること。
2.インターネット掲載のプレスリリース、文章引用を掲載する際、無断で改編、掲載すること

ここをうまくできればまずスムーズにいくのではないでしょうか
(→見てる会社さんは見てますよ、ポータルサイト側でその記事を表示できなくして警告が来ますから。。。。。)

すでに複製などについては著作権関連の法律が厳しくなるようでそろそろ施工です。
少しブログを書く側として意識していこうかと思います。

ちぇりーのぶろぐも来月でまる5年になります。

著作権に関する本を見つけました幾つか紹介するので参考にしてはいかがですか

「どこまでOK?」迷ったときのネット著作権ハンドブック

インターネット時代の著作権―実例がわかるQ&A付 (丸善ライブラリー)

そのブログ!「法律違反」です 知らなかったではすまない知的財産権のルール (ソフトバンク新書)





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2009年03月21日

ユーザーから見たガンプラ真話

久しぶりのコラムです。
昨日、15年ぶりに模型情報が復活した。
タイトルは新模型情報。
編集は電撃ホビーマガジン編集部が関わっている。
佐藤前編集長はホビージャパン出身であるが現編集長はバンダイ出版課の出身である。
元々、バンダイ出版課がなくなる際、メディアワークスに転籍という形をとったのだから必然なのかと思っている。
私が模型情報を買い始めた頃は丁度25年前でB5版に紙面がなった頃。表紙はトランファムでキン消しのカタログが出ていた頃だった。
新模型情報の冒頭でも書かれていた通り、表紙がZガンダムの準備稿が表紙になった(巻末の赤いバックの模型情報の写真がそれ)。
Zガンダム自体が本編で7月末登場なのにゴールデンウィークあたりに情報が出たので驚いた。
その後タイトルはMJとなるがその頃は熱も覚めて読んではいなかった。再度読み始めたのはVガンダムの頃でタイトルも模型情報に戻して版もB6になっていた。
Vガンダム初期の頃はカタログ的な紙面で、他事業部の協力でトイ関連も掲載されていた。この頃は事業部ごとがライバルであることが初期のような他のカテゴリーの商品が掲載しにくくしていたのだろう。
そして、94年2月(だったと思う)をもって休刊となる。
最終号の1/144ヘビーガン、マケドニア仕様の作例は今でも印象に残っている。
さて、今回の復活とはなんだろう。
メーカーとユーザーの声をダイレクトに繋ぐ窓口機能ではないかと思う。
ここ最近は模型雑誌がその機能を担ってきたわけだがメーカー側に戻そうとする最初の一歩だろう。
情報の速報制はネットには勝てないわけだから。
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2008年03月08日

『ユーザーから見たガンプラ真話』11

さて、1年ぶりに書くのだが、この1年いろいろあった。
この記事は80年代をある意味プレイバックしているのだが、80年代のアニメ作品がここ2年いろいろな意味で注目を浴びている

1。スコープドック
バンダイが1/20スケールでキット化。そしてタカラが亀系も含めて1/24で再販。
映像作品で新作を初め、各所で盛り上がっている。

2。ウォーカーギャリア
ザブングル後半の主役メカであり、25年前1/100でキット化されなかったトラウマが残るこの1/100ウォーカーギャリアが4月ついにR3シリーズの新作としてリリースされる。
それに伴い1/100大型ウォーカーマシーンも25年ぶりに再販、即完売という注目されるアイテムで市場を盛り上げている。

3。ドルバック
かって、グンゼ産業(現GSIクレオス)が発売していたキットの金型をアオシマが引き継ぎ再販された。4月に発売される可変無限キャリバーは新規金型パーツも付属していることらしい。

4。ガンダムMSV
マスターグレードVer2.0で現在ザクバリェーションが盛り上がっている。
すでに発売されたRタイプに続き、マインレイヤーもリリース。ザクキャノンも予定されている。このアイテムのリリースは80年代ノ乗りといった臭いがする。

5。マクロス
25周年を記念しマクロスFが4月より放送される。
7の時同様バンダイからキット化されるが、ハセガワのキットの後を組んだものとなりそうで期待が持てる。

さて、期待ばかり書いたが、この傾向は逆をいうと新規の注目作品がないと言える。
すでにエヴァから10年以上たっておりその間ホビー業界を動かすロボットものがあったかというと皆無である。(ガンダムSEEDはガンダムというフォーマットを利用しているので新規とは言いがたい)
そろそろそういった作品が見たいと思うのは贅沢だろうか
posted by ちぇりー at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

『ユーザーから見たガンプラ真話』10

今回10回目を迎えた(番外編を除く)
9回目で匂わせていたのは実はMSVである。
新たなシリーズとしてキット化されたMSV。ブームは終わらないがキット化するものが無い状況ではあった。
そしてキット化されたのは、テレビマガジンデラックスで書かれた大河原デザインを始め、コミックボンボンで連載されていたものなどがキット化されていった。
設定に関しては川口名人も所属していたストリームベースの小田雅弘氏が書いていた。
実はこのシリーズはモデラーの企みもふんだんに盛り込まれていた。
ザクやゲルググなどのベストキットを作ることも想定されていたのである。
田舎の少年として情報に乏しかった私としてはグフ飛行試験型はびっくりした。
さて、このMSVであるがテレビマガジンデラックスに描かれたのはザクキャノン、デザートタイプ、マリンタイプの3点がキット化された。それ以外のソースはみのり書房から刊行されていたガンダムセンチュリーからである。
そしてコミックボンボンでの大河原デザインであるが第一弾はリアルタイプのトライダーG7であると記憶している。この連載でキット化されたのはザクタンク、高機動型ゲルググである。
プロトタイプガンダムなど初期設定を利用したものもある。
(後年HGUCのオプションとして旧ザク用バズーカーと固定パーツがキット化している)
キット化されてないものには量産型ガンタンクがある。(それ以外はガンダム関連ではなく、プラモ狂四郎に登場したパーフェクトコンバットビーグルやアイアンギアなどガンダム以外のものも取り扱われている。)
さて、このMSVシリーズは84年12月の1/100パーフェクトガンダムが最後となる。
ラインナップ第2弾以降は発売当時の爆発力はなかった。また、すでに興味はテレビゲーム(ファミコン)に移り始めた時期である。
個人的に思い入れの深いキットは1/144ゲルググキャノンである。プロポーション、ギミックとも当時の1/144キットをはるかに超える出来であった。
このキットは後年ZZシリーズのリゲルグとして金型改修も行われた。
昨年、HGUCでリニューアルされるまでベストキットとして君臨する。

追伸
HGUCで先日ゲルググキャノンが発売になった。オールドファンとしては1/60およびMGでのトマース,クルツ機か1/144のパッケージのエースパイロット機でキャノンは組みたいです。量産機カラーのキャノンはキャノンとして認めません。
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2007年03月09日

『ユーザーから見たガンプラ真話』9

1980年1/144ガンダムが発売されて以来ブームとあいまってさまざまな機体がキット化された。
しかし、1983年旧ザクが発売された時点でモビルスーツの1/144ラインナップがコンプリートしてしまう。
その後戦艦などのキット化されないようなアイテムの300円ラインを中心としたキット化や大型スケールのキット化が続く。
1/60ドム、ゲルググや1/100ゴック、ズゴックなど名作キットも生まれている。
そして1/144コアブースターとともに久々の1/144モビルスーツがキット化される。
アッグガイ
なんと富野メモにあった没MSがキット化されたのである。
(この件のMSについては洋泉社刊ガンダムエイジが詳しい)
バンダイ自体は初のスポンサーとしてザブングルシリーズにも力を入れていた頃である。また、この時期タカラ(現タカラトミー)からは太陽の牙ダグラムが、今井科学、有井製作所では共同で超時空要塞マクロスを商品展開し、ある種アニメキットバブル全盛期であった。
ガンプラに関してはブームは継続していくわけだがこの没メカのキット化は翌年から展開されるモビルスーツバリエーションへの布石にもなっていく。
ちなみに翌年まで機動戦士ガンダムのシリーズとしては戦艦、モビルアーマーを始め、ミデア輸送機までキット化された。
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2007年03月01日

『ユーザーから見たガンプラ真話』1

第一回

昨年、メディアワークスよりバンダイホビーセンター施行にあたり記念すべき本を書いてほしいということで『ガンプラ開発真話』という本が刊行された。
ガンプラ製造の裏側の現場が良く出ていた本で興味深く読んだ。

読み終わって、商品を手に取っていた自分はどうだったのか思いを馳せた。

私は1980年、9歳で小学校三年生だった。前年あの機動戦士ガンダムが放映された翌年である。この少し前というとスーパーカーブームそしてこの頃は第2次怪獣ブームであった。
ウルトラマンや仮面ライダーの新作が数年ぶりに登場する状況であった。
さて、プラモデルはというと最初に触れたのは1978年だったと記憶している。
我々より上の世代だとアーマードファイティングビークル(AFV)を体感、キャラクターものだと今井科学のサンダーバードの世代である。
我々世代はというとスーパーカーブームでモーターライズされたスケールモデルや青島文化教材のミニ合体シリーズがプラモデルの入り口となった。
中でもミニ合体シリーズは今で言うところのスナップフィットモデルで接着剤不要であった。
また、青島オリジナルキャラクターも魅力的であった。(ヤマトやスーパーカーブームでばったもん的にキャラクターに取り入れたものもあった。
その後、宇宙戦艦ヤマトのブームが訪れバンダイ模型のミニコレクションシリーズを手にしていくのである。
では、その頃のアニメロボットのプラモデルはどうだったかということだが、主流は合金とイ(超合金をはじめとした各社ブランド)で劇中ギミック再現を中心としたものが人気を博していた。逆にプラモデルはモーターライズされて動くことが重視された商品、しかもプロポーションは二の次というものが多かった。
近年、グレートマジンガー秘密基地やゲッターロボ、コンバトラーVが再販されたがゲッターやマジンガーを見ると理解できるがお世辞にもベストといえるものではない。
特筆できるのはコンバトラーVで合体ギミックを持っていた点(実は再販されて知った事実)で玩具ギミックも満載されたキットだった。
ヤマトメカコレを作り始めた小学生はヤマトブームに飲み込まれていく。

第一回終了
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『ユーザーから見たガンプラ真話』2

第二回
機動戦士ガンダムの前にブームとなったのは宇宙戦艦ヤマトであった。1978年中高生がブームを牽引していたと思われる。当時玩具を野村トーイが発売、またプラスチックモデルは野村トーイとバンダイ模型が発売していた。
当時私が組んだ記憶があるものは野村トーイ製のナスカ、バンダイ模型製のメカコレクションシリーズ、700円のヤマト、超巨大戦艦であった。
今を考えると野村トーイ製のナスカは大味なつくりながらもクリアパーツ使用、シール使用でほぼ無塗装で楽しめるキットだったと記憶している。
一方バンダイ模型の700円のシリーズは以前のキャラクターモデルの延長でゼンマイ動力がついていた(それでも当時にしてはプロポーションは良好なものであった)が後にディスプレイモデルに変更されていく。
ただ、青島のミニ合体マシーンを製作していた小学生にとってはしきりが高くメカニックコレクション製作がメインであった。100円という価格は小学生の財布にもやさしかっあた。
ただ、その当時の私はまだ合金トイに未練を残していた。しかし、あまり購入できなくなっていた。合金トイは幼稚園児のものというおかしな固定観念にかられていたからである。
そして1980年、年が開ける。
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ユーザーから見たガンプラ真話』3

第3回

80年代前半のキャラクターモデルはプロポーションがかなり良く、また、玩具で再現されたギミックが盛り込まれた良質のものが多かった。
(ただし、ギミックに重点が置かれた分可動が省かれたものも多い)
90年代後半や最近再販されたバンダイのスーパーロボット関連や戦隊ロボット関連はその当時のものである。
超合金などの合金トイに近いギミックの再現と値段で私はそちらへシフトしていくことになる。
加えるなら組んでいくことの難しさと耐久性、塗装は考えていなかったのだが。。。。
特にギミックの再現されたものは700円で展開されたシリーズで、ダルタニアス(これは未だ再販されていない)ゴーディアン、ゴッドシグマ(再販は300円のみ)、ゴッドマーズ、ゴライオン(こちらも300円のみ再販)、ダイラガーなどであった。
300円ゴッドシグマはビックウィングが未再現であるがなんと合体ギミックは再現していた。(700円はビックウィング再現 ただし、玩具であったシールドは未再現で劇中後半登場したビックウィングカッターのギミックも未再現)
また、この当時印象に残っているのは野村トーイ製のバルディオスのプラモデルである。
実はバルディオスは1982年バンダイから発売されているがこれは、野村トーイの破産によるものだったと記憶している。野村トーイ製は上半身がパルサバーンに変形できるもので
可動重視のバンダイのものとは全くコンセプトが異なるものであった(足の方はさすがに変形できなかったが。)
また、ゴッドマーズは700円のものは6機のうち4機までが合体可能であった。ギミックという点であれば100円ガチャガチャのゴッドマーズの方が再現は良かった。
700円ガンダムもこのラインでコアファイターとの合体が再現できるものであった。
ここから実はガンプラの出会いが始まる。時は1980年11月である。

追記 野村トーイはこの後1992年米ハズブロー社に買収されハズブロージャパンで再出発をはかるが倒産する。
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『ユーザーから見たガンプラ真話』4

第4回

1980年バンダイ模型から機動戦士ガンダムのプラモデルシリーズが発売された。1/144ガンダムは当時展開していたベストメカコレクションシリーズのNo.4としてまた700円のシリーズも発売された。
版権獲得から開発までの話は『ガンプラ開発真話』に掲載されているのでここでは省く。
ここで取り上げたいのは1/100ガンダムである。私自身、玩具ギミックに魅力を感じていたユーザーである。コアブロックの再現と合体が可能という点にひかれたキットである。
しかし、不満もあった、トリコロールカラーは塗装が必要、腹部はコアブロック再現に重点が置かれた為、アニメと異なること、足の可動はひざのみという点である。
黄色はデカールで再現(ただし、股間やシールドのVマークはモールドされていなかった。)
また、この後2,3ヶ月後に1/1200ホワイトベースを入手している。こちらはガンダム、ガンキャノン、ガンタンク、ガンペリーのおまけ付きで発進シークエンスを楽しめた。こちらは塗装しなくてもそれなりに楽しめた。
この時期『ガンダム映画化』の話題と再放送でどんどんブームは盛り上がっていく。
また、ガンプラ発売予定日には模型店に朝から行列ができていた。
中高生中心ではあったが小学生にとってもガンプラは魅力的ものだった。
そして白いままのガンダムに満足が行かない私は塗装というものに手を出すのだ。

追記 1/100ガンダムは早い段階で金型改修が行われシールド、股間のVマークがモールドされ、またハイパーバズーカーの弾頭も追加されている。(1/144のビームサーベルは有名だが)。また、デカールは付属されなくなった。
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『ユーザーから見たガンプラ真話』5

第5回

当時のキャラクターモデルはある程度シールで塗装は再現されてはいたが大きいところは全く無塗装。人形は顔が命という言葉があるぐらい塗装しないとキャラクターは別ものという印象だった。
今でこそ、MGやHGUCは組み立てただけで赤、青、白のトリコロールカラーが再現されるが、1/100ガンダムは青は最低塗装しなくてはならない(1/100ガンダムの初期ロットは以前補足で触れたが腰の部分の黄色はスライドシールで再現されていた)。
『これはガンダムではない!』と思った私は塗料を購入する。
購入したのはレベルカラー(当時タカラが販売していた)のスカイブルーと蛍光イエローだった。
ブルーだけでも、今でこそ、青、コバルド、インディゴ、スカイ、ネイビーとたくさんの種類があるがそんな知識は当時持ち合わせてない。また、蛍光色が用意されていることも知らなかった。
塗っていて思った。
私『これ、筆は何を使って洗うんだ』
祖父、母『これシンナーだよな、水では洗えない』
母『マニュキアの除光液なら』
そして私は近所のドラックストアに除光液を買いに行く。
余談だがこの後、母はマニュキアに目覚めたと記憶している。
マニュキアは賢明な方であればエナメル系塗料だからつかえないのではと思われる方もいらっしゃるとは思うがラッカー系のレベルカラーでも十分落ちた。(ただし、蛍光の方は専用うすめ液が発売されていたようにうまくは落ちなかった)
そうこうしているうちにうすめ液という存在を知り、また、グンゼ産業(現GSIクレオス)からガンダムカラーという便利なものが発売されていることを知る。
良く考えるとこの頃は塗料も薄めず使っていた。当然、塗膜は厚く、ボテッとした仕上がり、上手いとは言いがたい作品を完成させていく。
ウェザリングの話は別に譲るとして最近の多色成形であまり塗装はしなくなったが今はきちんと塗料は薄めて使っている。
この頃はタカラがレベルブランドでラッカー系塗料を初めエアブラシなど積極的に展開していた。またグンゼ産業(現GSIクレオス)も同様の商品群を展開していた。レベルカラーとグンゼのMrカラーの違いは内容量がレベルカラーの方が多く値段が同じでお買い得だった。
一方ガンダムカラーという調色が難しい色合いを3本250円という価格で展開。(こちらは98年に5種類をセットにして再販され今のガンダムカラーとは違うもの)
量産型ズゴックのグレーは完全ではないがそれなりに塗れた(現状のガンダムカラーはそのあたりがきちんとできている。)
そして1981年夏、伝説のあの本と出会うのである。
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『ユーザーからみたガンプラ真話』番外編

番外編(注この記事は1/24新ちぇりーぶろぐに掲載した記事です)
『電撃ホビーマガジン』が今回通算100号を迎えた。
今回番外編を書いた理由としては第6回の布石にもなる内容なので書いた。
電撃ホビーマガジン(以下電撃と記す)創刊までの布石のひとつはメディアワークス刊『ガンプラ開発真話』への佐藤忠博編集長の寄校にあるのでその点は割愛する。

93年以降バンダイ出版は縮小していった。
この時期バンダイ模型から続いていたPR誌『模型情報』(84年B5版化され80年代末期にはMJと名を換えその後、従来の名称にもどしA5版になった)の休刊があり、また、96年(と記憶している)、Bクラブも休刊となった。その頃バンダイ出版は書籍をメディアワークスに移していた。(メディアワークスは当初、主婦の友社と角川書店で運営していたが、事情で現在は角川書店グループとなっている。)
その後、メディアワークス社が電撃Bマガジンというものを創刊しBクラブの連載を引き継ぎ
この雑誌も休刊、それを継ぐ形で創刊されている。
電撃の創刊のスタッフもかって、HJ誌の編集に携わっていた関係者が多かったのも創刊まで時間を要さなかった大きな理由と思える。
ユーザーとして危惧したのはMG誌創刊時の状況になるつまりライター取り合いという状況を大変危惧したがこのあたりは上手くやったのではと思う。
この雑誌の功と罪はプラモデル付き付録という点だろう。興味を引くという点で売り上げを伸ばした点は功といえる。
罪はそれにより雑誌値段の上昇を招いた点、そして場合によってだが雑誌として破綻してしまったと思える点がある。付録付きを解禁したHJ誌もそうめったに付録を乱発はしていない。また、筋の通ったコンセプトを設けている。

今回の電撃の付録に 100号までの表紙とミニコメントがついた冊子が付属している。
見て感じたこと。オフィシャルにしてもらった独自企画に偏って雑誌のパワー自体が創刊から1年くらいのものと比べて落ちてしまったように思う。
MG誌のセンチネルに比べた場合、AOZは正直プラモデル化でうちがやっているんですよ的な自己満足を脱していない。センチネルはキット化はされたがガンダムの後継作品としてのZが満足できないという点でのガンダムの後継という意思のあるものだった。
そのような意味では安易と言わざる得ない。
正直な話、今月号だと掘り下げ具合ではHJに負けていると思う。
優秀なライター陣をそろえている雑誌なだけにもっと回りを見てほしいと思わざるえない。
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『ユーザーから見たガンプラ真話』番外編

番外編 三者三要のあり方

ここのところ本編スピンオフ(踊るのようだが)が続いています。
昨日、批評でHJ+に関して書きました。
今回のHJ+(以下プラス)ホビージャパン(以下HJ)電撃ホビーマガジン(以下電撃)モデルグラフィックマガジン、現状の4誌(プラスはMOOK扱いのため次号は未定であるが)はよくも悪くも過去にHJの編集に関わった人々が関与している。
過去のHJ的フォーマットを現状も応酬しているモデルグラフィックマガジンを除く3つに関して読者の見方を示してみたい。
まずはHJ、2004年10月にリニューアルした。これに関しては電撃ホビーマガジンの影響が大きい。
雑誌の開き方などのフォーマットは創刊当時の意匠を引き継いでおり、キャラクターもの中心になっているが、スケールものも含めてバランスよく扱われている。
電撃ホビーマガジンは98年創刊。スタッフはホビージャパンのスタッフがほとんどであった。見開きページ、付録など今までのホビー雑誌にはまかったものであった。(付録に関しては景品法の改正も大きい)。
今回出されたプラスはフォーマット的にはモデルグラフィックマガジンに近いものであった。
電撃はやはり、モデルグラフィックコンプレックスが大きいと私は分析する。本の開き方や独自企画(AOZ)はセンチネル連載時のモデルグラフィックへのコンプレックスと見てとれる。電撃創刊当時、独自の道を歩んでいたモデルグラフィックに対してほとんどキャラクターもので挑んだ電撃はおもしろい存在と言える。
HJはやはり電撃のプラモデル付録でホビー誌No1から陥落したことが大きかったと思われる節はあるが付録を解禁しても大きく雑誌フォーマットを崩すことはなかった。
そしてプラスだがハウトゥー記事あり。モデラーの歴史あり、見るための作例(つまり模型の参考にする完成写真的もので製作記事ではない)あり、工具の歴史など80年代のホビー誌を懐古できる内容であった。
90年代、ファイギュアブームによる積んどくモデラー増加からどの雑誌もハウトゥー記事を乱発(あえてこう書く)された。
ハウトゥー記事に見慣れた昨今当初は違和感を感じたが落ち着いて見るともっと肩の力を抜いて取り組む、想像力を膨らますということを改めて考えさせられる。
(プラス自体現状毎月出せるパワーはないし完全ではない。)
大人のためのホビー誌という言い方だが、私自身は今のホビー誌に一石を投じた雑誌に感じる。
それぞれ、今のあり方を突き詰めていってほしいが今回のプラスの存在を他誌は無視できないだろう。
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『ユーザーから見たガンプラ真話』番外編

番外編 塗料

第5回で塗料に関して書いたが、実は今週(1/30)発売の週刊アスキーでGSIクレオスの件があったので補完したい。
レベルカラーは当初グンゼ産業(現GSIクレオス)が販売していたものである。
ここの本業はご存知肌着であったが米レベル社の販売代理店契約があり販売していた。
当初は輸入品だったそうだが日本の気候の問題もあり改良されていった。
しかし、米レベルとの契約が終了となる。その後独自の塗料Mrカラーが発売されることになる。
知名度を上げるきっかけとなったのはアスキーでもかかれていたようにガンプラでMrカラーの番号をバンダイが独自に組み立て図に記載したことである。これは共同での企画ガンダムカラーに結実していく。
一方レベルはその後タカラ(現タカラトミー)と契約し85年くらいまで残って行く。
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